松岡正雄(太和)先生のこと
松岡正雄先生は、彩漆画という独自の新分野を研究、開拓していった、意欲と情熱の画家です。特にその素描力は並外れており、“デッサンの松岡”として旧制中学の美術の教科書にも掲載される程でした。
学生時代、朝鮮の楽浪古墳から出土した漢時代漆器を見て「二千年以上も泥土に埋まっていたとは思えぬ漆の被膜の神秘な姿に圧倒」される経験をします。初めは二科展や帝展を中心に写実的な油絵の発表を続けますが、温暖多湿な日本の風土と油絵の素材の耐久性(カビによる剥落)の問題に直面し、漆の堅牢さに着目。次第に油絵から漆絵の研究に傾注してゆくようになります。
昭和10 年の『アトリエ』誌において、「漆絵こそ今後の日本において大成されなければならぬ日本的な新画技であろう事を思い、敢てその独立を宣言する。」と発表。昭和12年には「日本漆絵協会」を創立、戦後の「日本漆画会」へと続きます。
旧制府立高校には昭和4 年の創立時から尋常科で教鞭を執られ、附属高校となった昭和32年まで教えられました。漆絵の制作も、戦後は抽象的作風に変化しますが、晩年は故郷奈良の「大和の風景」の連作に取り組み続けました。
裸婦デッサン 1923 年(62.0×48.0cm)
洋装婦人 1934年(45.6×38.1cm)
【松岡正雄 略歴】
1894年(明治27年) | 奈良県宇陀郡榛原町(古代 漆部の里)生まれ |
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1914年(大正3年) | 東京美術学校図画師範科入学 ~ 1917年(大正6年) |
1916年(大正5年) | 第3回 二科展初出品で二科賞受賞 |
1919年(大正8年) | 東京美術学校彫刻科に再入学 ~ 1924年(大正13年) 漆工科を聴講、塗師に付き漆工技術を実習 |
1920年(大正9年) | 帝展の若手作家と新光洋画会を創立 ~ 1925年(大正14年) |
1922年(大正11年) | 第4 回帝展出品 |
1928年(昭和3年) | 春台美術工芸部会員となり、漆工芸作品を発表 |
1929年(昭和4年) | 府立高等学校尋常科で教鞭を執る ~ 1957年(昭和32年) |
1930年(昭和5年) | 第11 回帝展出品(油彩画)を最後に、彩漆画の研究に入る |
1934年(昭和9年) | 第一回彩漆画による個展(日本工業倶楽部) |
1937年(昭和12年) | 日本漆絵協会創立 第1 回展(上野松坂屋) ~終戦まで4回 |
1940年(昭和15年) | 三菱造船の依頼で「春日丸」の船室壁画を完成 |
1955年(昭和30年) | 日本漆画会を創立 第1 回展(日本橋三越) ~ 1963年 |
1965年(昭和40年) | 奈良県庁舎5 階ロビーに彩漆壁画を描く |
1967年(昭和42年) | エコーホテルオーサカ宴会場に彩漆画を描く |
1978年(昭和53年) | 逝去 享年84 歳 |
レビュー(45.5×38.0cm)
「牡丹図」に加筆する松岡正雄
裸婦デッサン(143.5×63.0cm)